突如襲った難病の記録 第2章
当ルポは5つの記事に分けて投稿する(予定)内の3/5である。
尚、足に麻痺が発生した日を発症日とし、0日とする。
- -11日 鶏肉を食べる
- -7日 お腹を下す
- 0日 発症
- 1日 受診・入院
出口の見えない苦しみ
救急車が走り出し、ほどなくすると病院に到着し、ストレッチャーで運び込まれた。
救急隊員と病院のスタッフとで情報共有をしているが、仰向けで寝ているのでひたすら上を見つめるばかりだ。
まず始めに医師と妻と三者でまずざっくりと話をしたあとに少しだけ時間があったため上司に電話を入れる。
ルポ主「もしもし、ギランバレー症候群で入院することになりました…」
上司「えっ!大丈夫なんか!?ギランバレーってなんか聞いたことあるぞ…?」
ルポ主「手足が痺れる病気で、たぶん死にはしないと思うんですけど、すぐに治療しないといけないようでして…」
上司「まじかぁ…仕事は心配せんでええから、今電話してて大丈夫なんか?」
ルポ主「今はちょっとの間だけ大丈夫ですけど、もう少ししたら電話はできなくなるんで連絡はメールでお願いいたします」
上司「わかった。予定ではどのくらい入院しそうなん?」
ルポ主「まだわからないんですがネットで調べると2週間~2か月くらいみたいです」
上司「わかった。とりあえず治す事を一番に考えてな。」
ルポ主「ありがとうございます。」
というやりとりで電話を終えた。
この時、読みが浅かった。
詳細は[はじめに]の記事でまとめているが、年齢や症状の重さ、進行度により回復にかかる時間にはかなり差がある。
正直に言うと入院してから数日間のことはあまり記憶が定かではない。
まず最初に救急病棟に入るのだが、入院するやいなや治療が開始される。
昨今のギランバレー症候群に対する治療ではまず始めに【免疫グロブリン療法】というモノを可及的速やかに開始することが定石のようだ。
免疫グロブリンとは何かと言うと、端的に言うと点滴である。
特に詳しい説明もなく開始されたのだが、これがとんでもなくしんどいのである。
おそらく個人差があるのだが、ルポ主の場合は頭痛と吐き気で全く何もできないほどであった。
あえて例えるならば、酷い二日酔いの状態で船に乗って大時化にあった時のような感じだったろうか。
初日と2日目あたりは検査が目白押しなのだが、まず採血し、その次にMRIだった。
採血は量、回数ともに「そんなに取ってどうするん??」というくらい採られる。
入院してから退院するまでおそらく60本以上は採られた。
初日は採血後、歩けなくなっていたため、当初は車椅子に乗り看護師さんに押してもらってMRI室まで向かったのだが、途中で気持ち悪くなり引き返した。
額に脂汗が滲み、座る事すらままならないのである。
一度病室に戻って横になり、少し落ち着いてからストレッチャーで再度検査室へ行った。
その後は筋電図検査や髄液検査をしたのだがメモを残していなかったのでいつどのような検査をしたかは定かではない。
筋電図検査は、体のある一点と別の一点、たとえば肘と指先に電極のようなものをつけて電流のようなものを流し、神経の伝達速度を計測するようなものである。
整形外科等で行う低周波治療や、銭湯の電気風呂のような感じで痛みというほどではなかった。
髄液検査は背中から針を打って髄液を採取(下記画像参照)するのだが、麻酔を打って行うので痛みは無かった。
さまざまな検査は、検査室が空いた時間に適宜呼ばれて行く流れなので計画等は全く把握できない。
救急病棟は基本的にやかましい。
入院患者はうめき声のような奇声をあげている人もいるし、医師や看護師も終始せわしなく動いている。
おまけに免疫グロブリンの点滴というのは厳しく管理されており、点滴に不具合が生じると夜間でもお構いなしにアラームが鳴る。
点滴の不具合というのは単に薬剤が切れたための補充通知もあれば、管の中に気泡が入って上手く患者の体内に入らなくなっている場合等、色々な状況があり、他の入院患者の物も合わせると結構な頻度でアラームが鳴るのである。
やっと治療が始まったことで、ほんの少しの安心感はあったが、この先どうなっていくのか、どういう計画で進むのか、出口どころか右も左もわからない暗闇の中にいるようだった。
後から考えると、どこまで症状が進行するかまだわからないため、医師も治療計画や回復の目途を伝えようがなかったと思われる。
最悪の場合は呼吸器に障害が出て人工呼吸になる場合もあるようだが自身の頑張りでどうにかなるわけでもなく、運命に身を任すのみである。
そんなこんなで疲労困憊でいつの間にか入院初日は終わった。
(終始寝たきりで夜間も目が覚めるため時間の感覚が無く、気づけば2日目になっていた)
進行する病魔 ~救急病棟~
2日目の朝には飲み込みの神経に障害が出て食事が摂れなくなってしまった。
妻が持ってきたクロワッサンがあったのでいつもの如く普通に食べようとしたのだが、なぜだか飲み込めないのである。
ゴックンというあの動作が出来ない。
これまた生まれてから一度も感じたことの無い感覚である。
いつも何気なく行っている、常人ならば当然できるであろう行為ができないのである。
もはや諦めてひたすら苦痛に耐えて寝るばかりだった。
水の飲みこみも厳しくなり、下記のような調整剤でとろみをつけたりしたがほんの少し飲み込むので精一杯だった。
そのような状態で唯一喉を通ったのが下記のような嚥下困難者用ゼリーだった。
このゼリーは飲み込もうとしなくても勝手に喉を通って行くような感覚でギリギリ飲み込むことができた。
ただし蓋は自力で開けられないので看護師に開けてもらっていた。
ゼリーだけではもちろん食事としては足りないが、四六時中頭痛と吐き気に悩まされ、空腹が気になるほどの精神的余裕も無い状態だったため、栄養はほとんど点滴に頼っていた。
ちなみに、入院代とは別で食事代は実費である。
後述するが、寝たきりで全く食べられないのに配膳だけされる分にも1食に付き490円かかっていた。
ゼリーは院内や薬局でも販売していたため病院食をキャンセルし、ゼリーだけ食べればかなり費用は浮いたのである。
まず実費であることを知らなかった上に止めることが出来るのも知らなかったのでかなり費用を無駄にしてしまい後から少し悔いた。
入院して摂食障害等がある方は医師と相談の上、配膳を事前に止めたほうが良いかもしれない。
話を戻して、飲み食いをほとんどしていないため、排泄もほとんどなかった。
2日目と7日目にお通じ(大の方の呼び方に関してはお通じで統一されているようだった)があったのだが、センサーが反応して流れてしまったため検便はできなかった。
もちろん一人で排泄できないので看護師の補助ですべて行っている。
[尻を拭く]という毎日のように当たり前に行っている動作ができなくなっていた。
ウォシュレットをしたあとは看護師に尻を拭いてもらう。
こんなことにも握力が必要だったのかという学びを得るとともに、自らの無力に情けなさを感じる。
また、当然入浴はできないため、しばらくは清拭(濡れタオルで体を拭く)になる。
タオルで体を拭くという行為もまた同じように握力が必要なのである。
看護師さんが女性の場合は、気を使ってか「お下はご自分で拭かれますか?」と聞かれるのだが、ここは恥を忍んでお願いしてやってもらっていた。
しかし、看護師も他人の陰部を拭くのに流石にゴシゴシと拭くわけでもなく、サラッと撫でる程なので、股間は猛烈に痒くなった。
当然、服を着たり脱いだりすることもできず、自分一人なら野垂れ死ぬレベルであった。
ギランバレー症候群の確定診断は髄液検査等の結果で下されたのだが、原因に関しては特定できなかった。
おそらく、検便できていればカンピロバクターウイルスが検出されていたように思われる。
入院初日からほぼ寝たきりになり、起き上がると頭痛と吐き気でグロッキーだった。
理学療法士と作業療法士は数日間は寝たきりのため何もできることがなかったので毎日挨拶に来るだけで、言語聴覚士も、まだリハビリができる状態ではなかったため、とろみをつけた水が飲めるか確認するくらいだった。
医療スタッフやリハビリ専門等の入院時の治療体制については[はじめに]の記事で紹介しているのでご参照を。
症状が進行し呼吸器に障害が出て人工呼吸器になることだけは避けたいができることは何も無い。
悪化の恐怖と動かない体の前に、ただひたすら無力で時が進むのを待つことしかできなかった…
わずかに見えた光 ~一般病棟~
入院5日目、これ以上悪化する見込みが無いとの医師の判断で一般病棟に転入となった。
呼吸器に障害が出なかったのは不幸中の幸いで、これ以上悪化しないということでほんの少しだけ光が見えたが、相変わらず体は不自由で免疫グロブリンの副作用でグロッキーだった。
免疫グロブリンは基本的には5日間投与したら終わりになり、後は治療としては補助的な飲み薬を飲みつつ点滴で栄養を補給し、回復を待つしかない。
俗にいう【日にち薬】というやつである。
免疫グロブリンを辞めてもすぐに頭痛が治まるわけではなく、数日間はまだ身動きが取れず、リハビリも開始できずにいた。
一般病棟は救急病棟とは少し雰囲気が変わり、緊迫感はあまり無い。
個室を選択すれば通話も可能とのことだったが、追加費用がかかるとのことだったので引き続き大部屋に入った。
ここで個室と大部屋の違いにも触れておく。
大部屋は医療系のドラマ等でよく目にする、4人1部屋でカーテンで仕切られている。
個室はその名の通り1人部屋で快適なのだが、割増代は保険適用外のため実費である。
お値段なんと最安の部屋でも1日に付き約15,000円!!
そんな高い金額を払って入る人がいるのか疑問だったが看護師曰く、最安の個室は空きが無いとのこと。
個室に入りたければ45,000円くらいの部屋になるそうだ。
入院と言っても検査入院等で2~3日間だけの人が多いからそこまでの費用にならないからのようだ。
ちなみに大部屋の場合は通話禁止でテレビの視聴にもイヤホンが必須となっている。
しかし、大部屋でも[ちょっとなら良いか]の精神で通話する人がかなり多い。
と言うか、入院時に周知が徹底していない(もしくは患者が聞いていない)ためそもそも通話禁止ということを知らない人が多いように感じた。
入院生活も長くなってくると他人の通話がかなりストレスになってくるため、基本的に1回目までは見逃し、2回目からは看護師に注意してもらうよう頼んでいた。
大部屋の場合は、面会や通話をしたい場合はデイルームという集会部屋のような所まで行かなければいけない。
デイルームには自販機も設置されており、自力で歩ける患者は普段からここでのんびりしている人もいる。
話は戻り、一般病棟での生活が始まった。
初日に担当になった看護師が強烈なおばちゃんで、入ってくるや否や挨拶もそこそこに話しかけてきた。
看護師「何食うたん?鶏?」
ルポ主「まぁ…はい…」
看護師「どこの店?」
ルポ主「○○っていう店で…」
看護師「○○行ったん!?あそこアカンで!うちの先生と看護師も当たってんねん!またあそこか!」
ルポ主「えぇ…」
看護師「あそこは絶対アカンわ!他にもよーさんおるし有名やで。どんまいやな。」
ルポ主「そんな被害者いるんですか?あの鶏のせいで体はこんなんになるし何より金がキツイですわ」
看護師「まあお金は高額療養費で8万9万ぐらいやろ、体ゆっくり治さなな。」
ルポ主「あっ、そんなもんなんですか!ネットで調べたら20万くらいって書いてあったんで…」
看護師「またクラークさん(医療事務)に詳しい事は聞いてみ。ナースステーションにおるから。」
といった具合で治療費がそのくらいで済むことには安堵したが、めちゃくちゃキャラの強いおばちゃんだった。
他の看護師にも少し話を聞いたところ、ギランバレー症候群で入院する患者はちょくちょくいるらしく、老若男女問わず、鶏が原因の人が多いらしい。
ちなみにキャラの濃いおばちゃんは太っている人は発症しにくいと言っていたが根拠となる論文等は見つけられず。
このおばちゃんは後々他のことでも適当なことを言っており、なかなかの曲者であった。
ここで一般病棟に移ってからの大まかなスケジュールを解説する。
- 6:00 点灯 全員叩き起こされ体温や血圧測定、採血等を行う
- 7:00~7:30 朝食が配膳される
- AM 医師の回診
- 12:00 昼食が配膳される
- 18:00 夕食が配膳される
- 22:00 消灯
という流れで、リハビリはリハビリ科の都合で空いた時間に回ってくる。
頭痛と吐き気が徐々にマシになってくるのと相反するように、7日目には脚の激痛に襲われる。
夜になるとふくらはぎを中心に脚が痛くなり、目が覚めるのである。
性質的にはこむら返りに近いが、それを超える激痛で、夜はほとんど眠れなかった。
目が覚めている間は特になんともないのだが、眠りそうになり意識が遠のいていくと脚が痛くなり覚醒するという拷問のような状態だ。
主治医に相談したところ、神経が回復していく過程でそのような反応が起きているのかもしれないとのことだった。
個人的な推測としては、寝たきりで全く動いてなったため、筋肉が衰えており、回復とともに動かせるようになってきたため筋肉痛のようになっている要素もあるのかと感じた。
宇宙飛行士が地球に帰還した時に歩けなくなっているそれと一緒である。
神経障害性疼痛というものがあるらしいがこの痛みがそれだったのかは不明である。
免疫グロブリンの副作用もかなり苦しかったが、この脚の痛みはそれと同じくらいの苦痛だった。
なんせ夜に眠れようが眠れまいがお構いなしに朝は6時に叩き起こされるのである。
点灯後は眩しいのはもちろんのこと、各患者への声掛け等でやかましく、寝るに寝れないのである。
その上、赤十字病院の大部屋は照明が各ベッドで分岐されておらず部屋一括なのである。
そのため、朝6:00に点灯されたら22:00の消灯まで頭上で煌々と照明が点いているのである。
アイマスクと耳栓をしても睡眠の質は低いままだった。
これは本当に良くないと感じた。
これに関しては投書コーナーで退院前に要望を書いたのだが、数年前にも全く同じ内容の要望があり、病院側の回答として「検討します」となっていた。
治療に際して、回復のために体を休めるという面では、睡眠が一番と言っても良いほど大事ではないかと思う。
実際問題18:00に夕食を取った後、ほとんどの入院患者が20:00くらいにはすでにウトウトしていたが、照明のせいで寝るに寝れない半端な状態になっていた。
22:00になったら各患者の様子を確認して消灯するのかと思いきや、特に何もなく静かに入口横のスイッチをオフにするだけなのである。
看護師に聞いたところ、寝る前に看護師が見回りしたりする兼ね合いもあるらしいが、照明を分岐すれば何も問題はない。
それほど難しい話なのかと疑問に思った。
この点に関しては赤十字病院に改善していただきたい。
さらに病院備え付けの枕がかなり硬い上に高さがあり、背中から肩、首回りがとんでもなく痛くなっていた。
これに関しては個人差があるとは思うが、旅行でホテルや旅館に泊まっても違和感を感じたことは無く、初めての経験だった。
途中で耐え切れずに看護師に相談し、バスタオルを重ねて枕代わりにして寝たのだがこちらの方がまだ幾分マシであった。
完全に睡眠不足で8日目になり、リハビリが始まった。
リハビリと言っても最初は脚は理学療法士に持ちあげたり動かしてもらいストレッチのような感じだ。
手の方は作業療法士の指導のもと、指折りやグーパー等。
まだまだ先は長い。
それと、遂に面会の許可が下りた。
看護師にデイルームまで車椅子で連れて行ってもらい、妻と久々の対面。
どうしても作らなければならない書類があったため、妻にPCを持ってきてもらい作業したのだが、手に麻痺があるため上手くいかない。
特に左手の小指が悪いためA、S、W等の頻繁に使うキーの入力に苦労する。
これは神経の病気になったことがある人しかわからないだろうが、動かしていないのにめちゃくちゃ疲れるのである。
疲れるという表現が正確かはわからない。
イライラする感覚や不快感に近いかもしれない。
動かない手足を動かそう動かそうとすると、なぜか脂汗が出てくるのである。
不思議な感覚である。
妻とは色々と話をしたが内容は特に覚えていない。
普段使っている枕と、ゼリーやヨーグルトを差し入れして貰った。
妻は結果的にはギランバレー症候群は発症しなかったが同じようにお腹を下したため、看護師から聞いた悪評もあり、妻と相談の上、焼き鳥屋を保健所に通報することにした。
そしてこの日の夕方に区役所のフォームから通報した。
通報して翌日には返事が来ていたのでかなり動きが早かった。
ここで妻が代理で回答するので連絡してくれと電話番号をメールで返信したところ、当日の20:00過ぎに電話がかかってきたとのこと。
かなりのブラック労働である。
妻が一通り状況を伝えたのだが、数日後には訪問して指導した旨を報告してくれたのでかなり迅速な対応をしてもらえた。
ただし、今回の場合は発症までラグがあるために因果関係は証明できず、[今後は生で提供しない]等の衛生管理指導までしかできなかったとのこと。
また、この日からは昼食を抜きにしてもらった。
飲み込みの障害がまだあることもあるが、動いていないためにそもそもお腹が空かないのである。
そして例のおばちゃん看護師から1食あたり実費で700円と聞き、急いで止めた。
しかし、退院前になってクラークから一食490円という真実を聞かされオイオイとなった。
かなり適当である。
入院9日目、朝になると相変わらず脚は激痛だが、枕を変えたためか背中や肩周りの痛みはだいぶマシになっていた。
そしてついにシャワー浴が可能になった。
ウォーターベッドか車椅子かどちらが良いか聞かれたのだがここは車椅子を選択。
通常の車椅子で浴室まで行き、入浴用のプラスチックの介助椅子のようなものに乗り換えてシャワーを浴びる。
家では湯船に必ず浸かる派なのだが、病院では事故防止のため入浴は禁止されている。
長い間清拭のみだったため、湯を浴びるだけでも充分気持ち良かった。
股間の痒みが限界に近づいていたがじっくりと流しサッパリ快適。
浴び終わったら看護師に体を拭いてもらい、服を着させてもらい部屋へ戻る。
気持ち良かったが、体力が落ちていることもあり疲労感もあった。
頭痛もまだ残っていた。
10日目、肩周りの痛みは復活したが、幸いなことに飲み込みの神経が回復し、流動食のようなものから普通食になった。
ただし、お箸は上手いこと扱えないためスプーンとフォークで食べる。
お箸も使えなくなるとは幼稚園児以下に逆戻りしたようで情けなくなる。
基本的に神経の回復は脳に近い方が早いようだ。
即ち、顔は早く治り、手足でも先(末端)に行くほど時間がかかる。
事実、ルポ主の手の場合でも親指と人差し指は回復が比較的早かったが、中指~小指は遅かった。
指折りをすると小指に近づくほど上手く曲げられないため顕著にわかる。
この日も妻が面会に来てくれた。
リクエストしていたある物を携えて…
↑低周波治療器である。
スポーツをやっていた方なら整形外科等でやったことがあるのではなかろうか。
パッドを貼って電源を入れると電流が流れて筋肉をほぐしてくれるのである。
肩こり等にも有効らしい。
神経の回復に悪影響があってはいけないので、念のため医師の了承を得てから使用開始したのだが、これはかなり良かった。
脚の激痛が劇的にではないが、かなり改善された。
この日以降は朝食後と夕食後に↓めぐリズムを付けてRadioheadを聞きながら低周波治療をするのが日課となった。
ちなみにこの日は大部屋にルポ主一人で貸切状態だった。
入院するまで知らなかったのだが病棟は基本的に週末の方が空いているのだ。
なぜかと言うと月、火曜日くらいから入院する人が多いのだが、検査や手術等は2,3日で退院の場合が多い。
したがって週初めに入院した人が週末には退院という流れで空床が多くなる。
医療スタッフも土日は人員を減らしていて、外来もやっていないため、病院全体が静かになるのだ。
11日目も脚と肩周りは痛いままだった。
12日目、全身がバキバキだった。
脚と肩周りが痛いのもあるが、睡眠がまともに取れていないために疲労が蓄積しているような感じだ。
神経の回復にも左右差があり、体のバランスが悪くなり歪みが生じているような感覚もあった。
作業療法士に、「右肩だけすごいあがっちゃってますよ」などと言われることもあり、自分でも気づかないうちに体の片側にだけ力が入ってしまっていたりすることも要因だった模様。
左足は初期症状が軽かったこともあり、かなり回復してきた。
(ただしまだ立つことはできない)
入院生活2回目のシャワーを浴びるがシャワーでは体はほぐれない。
ここで一つ思いついた。
病院内のテナントでカフェやコンビニが入っていたりするが、マッサージ店を開業したらかなり需要があるのではないか?
看護師と雑談している時にこのアイディアを話してみたら、「誰も使わんやろ」と一蹴されてしまったのだが、個人的にはあれば絶対使いたい。
必要に応じて部屋まで出張してくれれば尚良い。
このアイディアから派生して岩盤浴、サウナ(流石に無理があるが)、足湯等も思いついたのだが、足湯くらいなら院内の空いているスペースに設置できそうな気もする。
看護師には「バケツにお湯汲もか?」と言われたのだがそれでは趣が無い。
実際問題、設置して経営面においてプラスになるかというと微妙なので恐らくは実現しないだろう。
全国の病院経営者の方でこのアイディアを取り入れてくれる方はぜひ一報を。
話は逸れたが、この日から院内のコンビニに買い物に行けるようになった。
スタッフの手の空いている時間に車椅子を押してもらい出かける。
牛乳、白ごはんに飽きていたので鮭フレークと梅干、ちょっと贅沢なおにぎり、納豆巻きを購入。
昼食は妻からの差し入れ、病院食の残り(ゼリー等)、コンビニ、院内のミスドのローテーションになった。
そしてこの日、妻が面会に来た際に衝撃の事実が発覚した。
まずは下記書類を見ていただきたい。
【85,433円!!!!!!!!!!!】
何と85,433円の請求が来たのである!!!
これは高額療養費適用前の金額だと思い、妻と二人でクラークに詳細を聞きに行く。
結論から言うと【高額療養費は1日~末日までの同月内で計算する】ということらしい。
ルポ主が入院したのは書類右上にある通り、某月の30日なのだが、30日~31日で一区切りとなり限度額8~9万、また翌月1~末日で限度額8~9万(詳細金額は人による)という計算になるらしい。
たった二日間でこの金額!?とぶったまげたのだが、初日と2日で様々な検査をした上、免疫グロブリンがかなり高額らしい。
おばちゃん看護師に入院費8,9万と聞いて安心していたところにこの請求が来たので面食らってしまった。
(後日、おばちゃん看護師に「話全然違うじゃないですか!」と言ったら、「あーそーかー、それはしゃーないなー」と軽い反応だった…)
もちろん支払いはしたが、なんだかモヤモヤした気持ちになった。
ただしあの状態で入院が遅れていたら呼吸器まで障害が及んでいたかもしれないのでどうしようもないことではあった。
ちなみに高額療養費は病院によっては健康保険組合に申請する書類を提出する必要があるようだが、赤十字病院の場合はデジタル化されており、患者側での手続きなしで適用可能だったため手間はかからなかった。
また、この日から睡眠薬を使用することになった。
デエビゴという薬で依存性が無く、かなり弱いものだ。
睡眠薬というモノを服用するのは人生初で若干の不安はあったが背に腹は代えられない。
消灯前に服用するとスムーズに就寝できたような気がした。
13日目、朝4:00に脚の激痛で目が覚める。
睡眠薬の効果で就寝できたことはできたが、結局脚の痛みは変わらないようだった。
ランチはミスドにて。
久しぶりに食べたが相変わらず美味しかった。
この日のリハビリでは歩行器を使って歩くことができた。
下記のような高齢者がよく介護施設で使っているようなものだ。
これはかなり優れモノ。
手先が不自由でも肘までは力がそれなりに入るので、安定感を持って支えることができる。
左足が少し回復しているので、短い距離だが歩くことができた。
ほんの少しだが退院に向けて前進できている実感があった。
14日目、手にとんでもない数のブツブツが発生する。
細かい水ぶくれのような湿疹が手のひら全体に現れ、めちゃくちゃ痒い。
看護師に相談し、皮膚科医に診てもらえることになった。
ちなみに入院患者でも科が違う場合は病棟まで出張はしてくれず、車椅子で皮膚科の外来まで向かって診察を受ける。
免疫グロブリンの副作用かもしれないとのことで、ステロイドの塗り薬が出て、塗り続けていたら1週間も経たずに治った。
また、この日ある事件が起きた。
昼食を食べ終わったあとに寝てしまったのだが、目を覚ましてすぐに異変に気付いた。
ルポ主「クサッっっ!!!!」
すぐそばにいた看護師が反応する。
看護師「そやねん。ごめんなさい。あそこの人が…」
何と、病室でタバコを吸った無法者がいたのである!!!!!!
掟破りにも程がある。
個室ならまだしも大部屋で、それもトイレではなくベッドの上である。
ルポ主「タバコって強制退院じゃないんですか!?」
(入院案内に飲酒喫煙は強制退院と書いてあったため」
看護師「ホンマはそやねんけど…」
ここで気づいたのだが、タバコを吸ったのは癌患者のおっちゃん(以下、ガンジーとする)だった。
なぜ知っているかというとこのガンジー、大部屋で大声で通話するのである。
ガンジー「もしもし!!まいど。病院ですねん。入院してますのや。癌や。もう手術できひんからあかんねん。今までお世話になりました。」
みたいな会話を大声でしていたのだ。
本来ならば通話をやめるよう注意してもらうとこだったが、末期癌と知ったため大目に見るかという事で見逃していた。
ルポ主「あー、ガンジーか。癌やったら退院できないのにどうなるんですか?」
看護師「癌って…」
ルポ主「あのおっちゃん大声で電話してたから知ってますよ。」
看護師「病状は個人情報だから話せないけど、今から医師と面談してどうなるか決めるみたいやわ。」
というような話で、ここでリハビリの時間になってしまったのだが、夕方になって看護師長がルポ主のベッドまで説明に来た。
師長「この度は大変ご迷惑をおかけしました。」
ルポ主「いやガンジーが悪いだけなんで師長さんが謝ることじゃ…」
師長「今回は医師と面談の上、厳しく注意しましたので次やったら強制退院ということで…」
ルポ主「まあ癌だったらしゃーないですね。」
ということで、やはり強制退院はさせられなかった模様。
看護師に聞いたところ、大部屋のベッドの上での喫煙は史上初とのこと。
そんなこんなで15日目を迎え、手足の動きが少しずつだがよくなってきた。
病室からデイルームの移動くらいは自力で歩行器を使って行けるようになっていた。
排泄も、今までは小は尿瓶で大は車椅子だったのだが、歩行器で自力で何とか行けるようになった。
右足は足首を少しずつだが動かせるようになってきた。
座った状態で膝を曲げ伸ばししたり、うつぶせになって膝から下を上げたりを理学療法士の補助のもとで行う。
手の方は小指が思うように動かない。
↑これは回復後に再現でやっているのだが、手を閉じようとしても小指が集まってこないのである。
何とか寄せようと意識を集中するのだが指が震えるばかりで額に脂汗が浮いてくる。
作業療法士の指示のもとで、手をグーパーしたり、手を机の上に置いた状態で指先だけ垂直に起こしたりする。
ゴムボールを握ったり、練消しゴムをちぎったりこねたり。
↑このようなゴムバンドを各指でつまんで伸ばしたり。
色々な種類のリハビリをした。
この段階ではまだ体自体は思うように動かないので、運動量としては少ないのだが、疲労感はかなりある。
これは説明が難しいのだが、身体の疲れとは別で【神経の疲れ】のようなものを感じるのである。
動かない手足に意識を集中していると、脂汗が滲み、イライラとも少し違うよくわからない疲労感を覚える。
これはある程度回復してきてからわかったのだが、初期はこのような【神経の疲れ】だが、徐々に調子が良くなってくるにつれて、シンプルな身体の疲れに切り替わってくるように感じた。
ちなみに理学療法士は担当が社会人なりたての男性と、20代後半の男性指導係という2人組だったのだが、かなりキャラが濃かった。
若い方は、佐々木健介のような優しそうな顔にガチムチボディーで、髪型はサイドを刈り上げて後ろで結うチョンマゲスタイル(ちょうどクローズの小栗旬のような髪型)で、指導係はサッカー日本代表の南野拓実を茶髪にしてちょっとギャル男にしたような雰囲気だった。
見かけによらず丁寧で熱心な指導で、フリートークも上手だった。
看護師情報にも精通していたので○○病棟の○○さんがかわいい等のマル秘情報も教えてもらえたりした。
作業療法士は40歳くらいの女性で、とても丁寧だが話しやすく、手のリハビリ以外でも入院生活の悩みや雑談もしてくれたので、楽しくリハビリができた。
16日目、仕事の取引先のおっちゃんが面会に来てくれた。
自分が入院する側になって初めて知ったが、面会に来てもらえるというのは嬉しいものである。
病院という閉鎖的空間にいると外部の人間との関わりが恋しくなるものである。
別れ際にはガッチリ握手して復帰を誓った。
またこの日、顔の右側に違和感を覚えた。
最近やけに右目から涙が出るなぁと思っていたり、食事の際には口から物がポロポロこぼれるなぁと感じていた。
ハッキリと認識したのは歯磨きの時にグチュグチュをしようとすると口の右側から水がこぼれて出てくるのである。
不穏な空気が漂っていた。
17日目、窓際のベッドに移動してもらった。
一日中カーテンに囲まれていると気が滅入るため、気分次第でたまに開け放っていたのだが、細かい看護師の場合は閉めて下さいと言われる。
融通が利く看護師の場合は逆に「開けときましょか?」と言ってくれたりするので助かったが、これで気を使わずに開放感を得ることができるようになった。
壁とカーテンで四方囲まれた状態から↓これである。
↑このマスカット味のファミマのアイスが入院時のお気に入りだった。
トイレが距離的にほんの少し遠くなりはしたがそれを補って余りあるQOLの向上である。
ただし、この日は頭痛が酷く、顔の違和感も悪化しているように感じた。
18日目、妻と面会。
妻に顔の違和感を確認してもらったところ、右側が引きつっているような感じになっているとのこと。
日曜日で主治医が休みのため、明日見て貰うことになった。
19日目、主治医に相談したところ、耳鼻科の管轄になるらしく、皮膚科の外来へと出向くことになった。
耳鼻科医の診察、MRI、聴力検査の結果、おそらく【ベル麻痺】であろうと診断された。
ベル麻痺とは顔面神経麻痺である。
10万人あたり約20人が罹患し、多くの場合は1か月ほどで完治するが、20%の人は後遺症が残る。
一般的に、原因が特定できない場合はベル麻痺と呼ばれるようだ。
ギランバレー症候群の症状では無いとは言いきれないそうだが、顔面麻痺だけ時間差で現れるというのは国内では症例が無く、海外で数例ある程度とのこと。
主治医と耳鼻科医が相談をして、とりあえずベル麻痺と仮定して治療を開始するとのことで飲み薬がまた一つ増えた。
ちなみにギランバレー症候群の治療に関する薬も合わせたらかなりの数になる。
入院してる間は看護師が飲むタイミングで持ってきてくれるので問題ないが、自分で管理するとしたら大変である。
ベル麻痺の治療として薬が始まったが、リハビリは発症から1週間経過してから開始するのがセオリーらしい。
しばらくは、飲み込みの神経が回復して以来ご無沙汰だった言語聴覚士が毎日様子を見に来るだけだった。
下記画像で説明すると、口をすぼめているのだが、正常側は中央に寄ってきているが麻痺側が寄ってきていないために左右非対称になっているのがわかる。
目の周りはわかりやすく、ウィンクをしたら片方だけ明らかにできない。
ただしここで画像を公開すると顔が割れてしまうため公開は控える。
神経が麻痺し、目が上手く閉じられなくなっていたため、まばたきができずに目が乾いて涙が出ていたようだ。
顔面麻痺が発生したことで、また気持ちが下がりかけていたが、脚のリハビリが順調だったのが救いだった。
左足がほぼ回復してきたことにより、下記のような平行棒の中をかろうじて歩けるようになった。
ただし、歩行器を使って歩いているところを妻に撮影してもらって見たのだが、ハムストリング(腿裏、俗にいうハム)の筋肉が弱っているため、歩行時に支えきれずにぎこちない歩きになっていた。
20日目
妻と面会。
脚のリハビリでは、掴まりながらなら片足立ちできるようになる。
脚の回復だけが心の支えである。
手はほとんど変わらず握力は0のまま。
顔面麻痺も改善なし。
このころになると夜中~明け方にかけての脚痛はだいぶマシになっていたが、それでも4時頃には目が覚めてしまっていた。
21日目
この日も4時に目覚めた。
この日のリハビリでは、今までできなかったうつぶせで膝を曲げるのを一回だけできるようになった。
ハムストリングが回復してきた証である。
手すりでの歩行は可能だが、杖での歩行を試したところ、握力がないため安定せず、まだ早いという見解になった。
脚は日を追うごとに回復してきているので、主治医の回診時に何とか今月末で退院したい旨を伝えたが、まだ厳しいと思うとの回答だった。
何せ来月まで入院するとなるとさらに10万ほど費用がかかってくるのである。
何とかあと10日で歩けるようになろうとリハビリにも一層気合を入れた。
この日くらいからはリハビリ以外でも空いた時間に、歩行器や、病棟の手すりを使って歩く練習をしていた。
左足はほとんど回復していたため、スクワット等で筋量を増やし、不自由な右足をカバーできるようにしようと考えた。
22日目
隣の患者の寝言がとんでもなくうるさく、最悪の朝だった。
かなりのおじいさんなのだが病室で何度も電話するし、看護師が注意しても聞かないしでかなり治安が悪くなった。
この日、箸が使えるようになった。
大きな進歩である。
ただし、右手は若干力が入るようになったが左手はまだ不自由なままだった。
妻と面会。
ちなみに面会のルールは下記の通りとなっている。
飲食禁止となっているが飲み物はOKに緩和されており、食事も軽いお菓子程度なら食べてる人もいた。
滞在時間は30分の制限があるが、よほど長くない限りは退出を促されることもないようだった。
時間は14:00~18:30なのだが、おそらく午前中は検査やら入退院が多く、看護師が忙しいからだろう。
これが11:00からだったならば、面会時にお弁当を渡して面会終了後に病室で
「朝起きたら足に力が入らないので病院に行ったらギランバレー症候群で即入院になったルポ~入院生活編~」への3件のフィードバック